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名称のつけられない関係性の相手と、名称をつけられないような交流をしてきた。

別に卑猥な話ではないのだが、そこはかとなく文字面から淫靡な薫りが漂う。その内実はというと、実は妙齢の女性と2人連れで新大久保を遊び歩いたということで、やっぱり卑猥な遊びじゃないかと怒りを覚える向きもあるかもしれない。(ないと思う。というか誰もこの文章を読んでないと思う)だが、全然、まったく、本当に本当に何もなかったのである。こっちが期待したいくらいだったのだが。ここまで読んでも何が何やら意味不明だし、実際俺にも、おそらく先方にも「今日はどんな人と何をしたの?」という問いにたいしての答えはあまりないのだと思う。そういうイベントは年を取るたび少なくなっていくから、ある意味貴重だ。新大久保では犬がドッグランでわけもわからぬままじゃれあうのを見ていたのだが、何のことはなく、飼い主たちも似たようにあてどなく言語化できぬイベントの進行中だったのだ。

さて、どのような意図で起きたかは皆目見当もつかないが、何が起きたかを語ることはできる。
事の起こりは3か月前までさかのぼる。



2020年2月末、俺は無職で、暇だった。

まあ上記一文を読んで不快になられる方もいるかもしれないが、予定がボンレスハムみたいにミチミチの密度で詰まっている無職というのも怖くないだろうか。(こうやってすぐレトリックに走って脱線するのが悪い癖である。結局内容に自信がないのだ)
とにかく、新卒の頃から勤め始めた会社を2019年末に辞職願を出し、そこから1.5か月の有給休暇を取得してようやっと正式に退職したばかりだった。あばよ!
そこから友人と年始からニュージーランド旅行に行き、麻雀をして、ポーカーをして、あとは...家でひたすら無為に過ごしていた。親からの家事遂行の要請に対しては「生産性のあることを一切したくねえ!」と叫んで突っぱねていたのだからなんとまあ見上げた根性である。
ともかく、再就職を控えた3月までは残すところ1週間強となり、寄る辺ない無職の俺は暇をぶっコイていた。無職のくせに彼女はほしくなり、「どうせ2か月暇だから婚活でもするべぇか」とばかりに再度始めた恋愛アプリも、なんだかんだ暇に飽かせて続いていたように思う。(恋愛市場での弱者は、恋愛アプリはマジで心を無にして作業を行うだけの修行であるため、俺は時々耐え切れなくなってアプリを消したりしていた)
その中で、たまさかチャットのやり取りが続いている女性が一人いらっしゃった。彼女の名前は、仮にAさんとしよう。Aさんは某有名大学の理系の大学院を卒業された才媛で、外資系の某社にお勤めということだった。へちゃむくれの王様みたいな自分が人のなり形を評価するのもおこがましいことこの上ないが、完璧とは言えないがかわいいお方だった。趣味もとりわけ特殊というわけでもなく、プロフィール欄の自己紹介も充実しつつ簡潔。僕は特に迷うことなく「いいね!」のボタンを押したと思う。
その後、こんにちはから始まり、僕のほうからはクソみたいな会社のせいで毎週毎週出張をさせられていること、会社をもうすぐ辞めようと思っていることを、彼女のほうからは彼氏と別れたこと、犬がかわいいこと、などなど、お互いほどよく親密なフリをしつつ相手のプロファイルを埋める作業をしていった。まあマッチングアプリなんてそんなもんや。とにかく、お互い会話のための会話を1-2週間ほど続けたのち、こちらからデートにお誘いした。
デートについて語るべきことは特に何もない。
いや、マジで何もないのだ。恵比寿のおしゃれなお店を予約して、実際に行ってみたら思った以上にオシャレでドン引きのオカワリをしたくらいで、いつも通りそれなりに取り繕って話ができたと思う。というか、まあ正直いつも以上にウケてる感じがあった。このデートまでに元カノや婦警に振られつづけていた身からすればそりゃあ胸の躍る時間だったと思う。ついに、ついに人間ステータスを「彼女持ち」に戻せる!否応なく期待は高まっていった。

そして、ココまでフリをすればまあ想定をできると思うのだが、まあ当然のごとく振られた。少なくとも僕はそう思った。具体的には、「新しい部署に移り、そこはかなり忙しそうなのでちょっと婚活はやめます。ごめんね」というような内容がメッセージアプリから流れてきた。僕は当時ジムで足の筋トレをしており、レップ間の休憩にてメッセージを読み、嘆息し、汗を一度ぬぐって、こう書いた。
「了解! せっかくのご縁だから残念だけど仕事ならしょーがない、、、友達としてこれからよろしくね!」
それから、もう一度トレーニングに戻った。というわけで、特に面白くもない、単純に俺の山のように重なったフラれ歴に一つ記録が積みあがっただけだった。いや、本当にいろんな意味でクソ面白くない出来事だった。そんなわけで、最近まで彼女の存在は忘れていたのだ。脳内の関連シナプスを焼き、記憶のゴミ箱にぶち込んでいたわけだ。
そしたら、数か月たっていきなりチャットが今週飛んできた。内容はこうだ。
「お疲れ!よかったらうちの犬と土曜日に遊ばない?ピクニックしようよ!」
俺はメッセージを一度、二度、三度読み、その後襲ってきた虚脱感に椅子の上に崩れ落ちた。


「一度振った相手と1 on 1の試合をしようとするなよ! 何したいんだよ!」
俺は自室で叫び、慌てたあまり友達に即連絡した。
「大体振られた相手とのもとにどういうツラで行けばええんや。マジで文字通り友達ヅラしていけってのか。気が狂っとらんかそれ」
振られた時以上に悄然とした俺にたいして、彼女持ちの友人はこういった。
「まあ、とにかく向こうからお前にマイナスの印象はないってことじゃね? どうなるにせよ、とりあえず行って損はないんだから受ければ? 友人としていけば無難やろ」
俺は、
「いやいや損するよ俺が傷つくよ! せっかく嫌な思い出を忘れてたのにさ」
とは思ったが、結局こういう人間の小ささが非モテに近づくのだなということを深く噛みしめた。確かにそうだ。損はないはず。じゃあ...


某月某日、俺はジムを経由してから電車に乗って、池袋駅まで来ていた。ピクニックの場所は代々木公園を計画していたので、山手線に揺られて目白を抜けたくらいのところだった。もう会話劇を書くのがダルいので要点だけまとめる。
・今日は曇っている。なので代々木公園はやめよう。(Aさん)
・代わりに新大久保のドッグランに行く(Aさん)
・じゃあそれについていく(俺)
そういうわけで、俺は午後一の曇りの新大久保駅前にたたずんでいた。ほどなくして彼女が到着し、実に数か月ぶりの邂逅を果たした。彼女の手元にはバッグに入った子犬がプルプル震えており、ああこいつが、という感じになった。ペットを飼っている女には正直良い印象がない。なぜかというと元カノがそうだったから~!元カノが猫を気にしてホテル誘っても帰るような女だったから~!(大声)
結局、自らの愛情をペットに注いでしまい、恋愛関係になったときに犬猫畜生と競り合わなくてはいけなくなってしまい、ツラくなってしまうのがオチだと思うからだ。そして無論のこと、競り合いに勝てる自信もない。
とにかく、久しぶりに会ったAさんと俺たちはそのままのんびりしゃべりながらドッグランに向かった。ちょいちょい仕事の話、近況の話をしたが特に盛り上がらず、俺が質問→相手が答える→俺が話を広げる、で1トピックを使い切ってしまう感じの、いかにも地球にやさしくないノンサステイナブルなコミュニケーションをしていた。
だがそれでいいのだ。今日の俺は無理しない。今日の俺は「友人」としてこのイベントに臨んでいるのだ、なのだ、なのだ…と強く自己暗示をかけ、へらへら笑っているうちにドッグランについた。
ドッグランの施設は意外と広く、驚いたのを覚えている。(なんだかめんどくさかったので入場料は全部俺が持った)
ドッグランでは、犬ころが5~6匹コロコロと遊びまわっており、また、なぜか彼らの飼い主はみな妙齢の美女だった。虚無モードでなければさぞ眼福だったろうな、と思う。ドッグランのスペースにAさんが飼い犬を解き放つと、小さな生き物は小さく震え、そののち全力で駆け出し、別の犬の群れに突っ込んだ。
「え、あれ大丈夫なんですか」
俺が思わず聞くと、Aさんはちらっとこちらを振り向いて、
「大丈夫ですよ~。ドッグランって、ほかの犬や人と触れ合うことで社交性を養うのも大きな目的の一つなんで。なので、ほかのワンちゃんが来たら全然撫でて大丈夫です!」
と述べ、そのあと犬と触れ合いに行ってしまった。
Aさんの犬は小柄ながらすさまじい切替しの走りを見せつけ、あっという間にほかの犬のお尻に突っ込んだ。突っ込まれた犬は一瞬ひるみながらも、今度は逆にAさんの犬を追いかける。犬同士の追いかけっこは、文字通り交互に相手の背後を取り合うレースであり、航空機のドッグファイトの語源はこれか、と20代も後半にしてようやく合点がいった。これを社交性といっていいのかは知らないが、とにかく犬にとって最高に面白い遊びであることには間違いないだろう。
なるほどねえ。コロナ禍でコミュニケーション不足なのは人間だけじゃないってことなんだなあ。そうと決まれば、ということで、俺も遊んでやろうとキャッチャーのように中腰になって犬がこちらに来るのを待ち構えた。


ドッグランでぼんやりと考えたことは、主に以下のようなことだった。
一つ、犬を飼っている人のところにはよく訪れるが、犬を飼っていない人間のところには基本的に来ない。
二つ、それでも、一度近くに来たところを撫でてやれば、その犬はまた戻ってくるようになる
三つ、上記条件は、犬同士にも当てはまり、犬は好きな犬ができるとそいつをずーっと追い掛け回す
四つ、女性はなぜか犬としゃべるとき赤ちゃん言葉になる

四つ目はともかくとして、これってなんだか人間と似ているな、とぼんやり思った。蹲踞のし過ぎで足がしびれてきたので、よっこらせと立ち上がって曇天をにらむ。
結局、モテるやつは女性を引き寄せるが、モテないやつは少ないながらもチャンスを作らなければならないということ。それでも、誠意を尽くせばたまーには付き合ったり大切にしてくれる人もみつかる(かもしれない)ということ。男女や生物種の違いを超えて、生き物同士の付き合いとしてこれら2つを意識するのが大切であるということ。
それらは、マッチングアプリでいくら女性と話しても俺がうまくできないことばかりだった。まるで犬同士の追いかけっこのように異性の尻を追いかけるのがそもそも得意でも好きでもない自分自身のことを改めて認識し、なぜだかわからないけどもちょっとほっとした。
理解してはいるのだが、わかるまでにはまだまだ先が長いな、と思いながら、俺は何回目かによって来た全身真っ黒の小型犬を撫でた。小型犬は暖かく、やわらかい体を震わせて、その場で僕の手をペロペロ舐め始めた。俺は空いたほうの手で背中を撫で続けた。
そして犬は去っていった。そういうこともあるだろう。

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過去というのは恐ろしいもので、ふとした瞬間に振り向くとそこにいて、ぎょっとするようななりをしているものだ。

別にうまいことを言おうとしているわけではなく、素直な感想として昔の自分が書いたブログを読んでそう思う。2014年の俺よ、そんなにはしゃいでお前誰やねん、一体どした、薬でも入れとるんか?という心持になる。何気なく張っていたが、リンクをTwitterアカウントに連携させてもよいものなのか。(恥ずかしさよりも撤回することの情けなさのほうが先に立つので、いったんこのままとする)

齢を経たから、というわけでもないのだが、今は一時的に全体的にテンションが下がっており、心の重心がどっしりとしているのでそこまで動揺するということもないのだが、平常時であればきつく現実から目をそらしていただろう。ドッペルゲンガーのことを自己幻視像といい、遭遇するともれなく死ぬらしいが、やはり自らの影を見るというのはあまり健康に良いことでもないのかもしれない。

というわけで、健康の話だ。


何せ、20代も後半だ。興味の中心も女や映画から健康に移るのも致し方ない。嘘だ。健康に興味なんてないし寿命にはもっと興味がない。コロナが世界を席巻していても、俺は半ばムキになってノーマスクノーケアのノーフューチャースタイルを貫き通している。最近は在宅ということもあり、時々ノー洋服スタイルでPCに向かっている。人はそれを全裸ともいう。

とにかく、社会人になって以来ずーっとたしなんでいたタバコを、2か月ほど前にやめた。ジムにも通い始め、暇な日は毎日10㎞歩き始めた。健康になったと思う。健康になるのはいいことらしく、誰に話しても褒められる。自分でも時々筋肉のついてきた腕周りを見て少しだけ鼻腔を膨らませたりしている。

一方で、精神的には割と鬱々としてくるから不思議だ。転職も経て、前のXXXXXみたいな職場も抜け、ようやっとまともな業界大手の会社に入れたと思ったのだが。

原因は多岐にわたっており、在宅勤務による閉塞感、友人と遊べないことによる不満、出会い系のやり取りの面倒くささ、税金の高さ、母親が将来に抱えるねっとりとした閉塞感、などなどあると思うのだが、一番はやはり、現在やっている仕事なのだと思う。

これから書くのは、自らが正しいという証明ではない。どちらかといえば、正しい/正しくないの外での適応力のあるなし、のように思う。

現在やっている仕事が、めちゃめちゃつまらないのだ。何がつまらないのか?明確だ。話が上司や客に通じないのだ。(特に上司に)

人間としてのコミュニケーションのアプローチが明確に違い、また、そのアプローチの仕方がいかにも老獪な古狸じみており、よく言えば後出し、悪く言えば錯乱したコミュニケーションを毎日受けている27歳の今日この頃である。

例えば、俺は「しゃべるのが長い」といわれる。結論だけシンプルに、そぎ落とされた言葉で語るべきなのだそうだ。それはそうかもしれない。コンサルティングに携わるものとして、シンプルでわかりやすい表現に勝るものはない。

一方で、言葉が直接的すぎる、という指摘も有難く頂戴した。一つ実例を挙げれば、「課題Xの優先度が劣後した」というのはあまりにもアグレッシヴなために不適切な言い回しであり、より適切には「課題Xの優先度は再度検討されるべきである」と言い表すべきなのだそうだ。再度検討。検討してどうするのだろうか。優先度は果たして上がるのか下がるのか。ほかの課題は優先度の検討をしなくてもよいのだろうか。畢竟、優先度とは相対的なものであり、母集団の中の1要素の優先度順位が変わるということは、別の要素の順位にも影響するのではないかしらん。イヤハヤ、ここまでくると俺の知らぬ理で動く宇宙に属しているのかもしれん。


もうこれ以上慇懃に皮肉るのも飽きたので直截に云うが、この二つの表現は、明らかに、意味が、違う。

何たる不幸だ。さらっとひとことでいうのも躊躇われる。ファッキンクソバカデカ不幸だ。意味が分からん。隙があれば膝から崩れ落ちて失禁したい。

こういう「ロジカルにものを考えるのが苦手だけどそれっぽい職歴とお客さんへのおべっかで金を稼ぐタイプのコンサル」から離れるために前職を辞したというのに、また俺はこういう苦労をしょい込んでしまっているのか。何ならこの案件自体、複数ある案件候補の中から希望の「優先度」を一番下にした案件だというのに、つくづく俺という人間はここぞというところで人生がうまくいかないものだなとため息が出る。まあ会社が変わったからと言ってそういう人間から全部解放されるとも、会社ごとで環境が100ちがうとも思ってはいなかったが、、、それにしても、、、それにしてもだよシャレにならんよホント。

こういうおじさんたちに囲まれて下っ端として仕事をすると、そもそも仮説志向もロジカルシンキングも大して通じず、気遣い・ノリ・力関係の三大黄金律が支配する魔境と化す。

つまりは、「合意の積み重ねを共通理解として、プロジェクトメンバ間の橋頭保を築く」「ロジックのつながりの先を仮説として提示し、納得感のあるビジョンを提示する」といった積み上げコツコツ型の努力の一切が悪手と化し、「初めから当たりそうな答えをなんとなく想像して数を打ち続ける」(無論外すと怒られる)「おべっかをつかう」(言いすぎると口が曲がる)「目をつぶって的外れのお小言をかみしめる」(略)といったカミカゼ特攻方式での仕事を強いられてしまうのだ。どうだ怖いだろう。恐怖パワーがこの辺に溜まってきただろう。(こめかみを指す)

というわけでストレスはたまり空は裂け海は干上がっているわけなのだが(神話的表現)、そのストレス解消の手段であった喫煙すら俺は奪われ、暮れなずむ人間砂漠のど真ん中でポツンとたたずむ格好に相成っているわけだ。喫煙は怖いが禁煙も怖い。喫煙は灰が真っ黒になるが禁煙しても黒くなった肺が白くなるわけではない。一方で、喫煙していることには感じなかったタール状の感情を処理することも、禁煙のこの身では難しい。でもストレスに押しつぶされそう。じゃあどうするんだ?書くんだよ。それが俺が鬱々となりながらも見つけた本能の部分だった。社会人になってなんとなくご無沙汰だった自己射影であり、社会人として進化の名残りのような欲望だった。


実際に、正確性や政治力や専門的な知見、抜け漏れについて考えなくてよい文書を書くというのは精神に良いということに書きながら気づく。落ちもフリもないが、ブログよ、俺は戻ってきた。

@新宿角川シネマ

面白かったです。なんというか、ちゃんと「楽しみ方」がかっちり映画で、たまたまネットの記事で吉浦監督の対談が読めたので「空に落ちる怖さ」っていうのを最初から意識して観れたので、すごいよかったです。「ゼロ・グラビティ」しかり、もしかしたらこういう「落ちモノ系」ってひそかなトレンドなんではないでしょうか。
ずいぶんと更新をしてなかったみたいです。この前までは更新はAsusのノートパソコンを使っていましたが、今はmacbook airを使って更新をしているあたり、隔世の感がにじみ出てます。(私事)
世間では先日テレビで放映された「天空の城ラピュタ」に連動したSNS(っていうかツイッターです)上での通称・「バルス祭り」が世間を騒がせ、ネット上のイット業界に於かれましては全力で「みんなでバルスって言って楽しもうずwwギネス記録も更新しようずww日本の力を見せつけたるでーwww」的な(絶対零度の)マーケティングを展開しており僕は全力でオルテガを読みながら「バルス」「バルス」「バルス」「バルスwwwウェーイww」「バルスwwっつかこれギネス突破したんじゃねwwwうはww」「バルス」「バルスww twitter社涙目ww」といった風に埋まっていくツイッターの画面を見ては虚ろな目をしてバケツにシェイク状になった夕餉のサバ味噌をぶちまけていた訳なんですが、まあ世間一般はたのしそうで良かったです。個人的には日の丸ナショナリズムと脊髄的反射の衆愚状態に加えて見え隠れする嫌らしいイット業界ほかのお膳立てがもたらすオーケストレーションに思わずマラリアよろしく寒気・吐き気・目眩・高熱・下痢下血・幻覚・生理不順などなどの症状をきたしてしまったりしたのも今では良い思い出です。
まあなんと言うか、それを見た直後に「ジブリの借りはジブリで返す」的な意気込みで臨んだ今作でしたが、とても良かったです。すごい僕好みの映画で、なんというかいろんな意味で心を現れたし、個人的にはバルス祭りへのアンチテーゼとして「考えて言葉を使う」っていうことが久しぶりにできそうなんでとてもうれしいです。
で、はい、キャスト&製作陣。
監督、脚本はジブリ映画には欠かせない宮崎駿監督。ネット上の民草からはやれロリコンだのやれ兵器オタクだのやれ世界破滅萌えだのさんざん言われていましたが、ええ、今作でもやっぱりロリコンだし兵器オタクだし破滅萌えだしで元気に銀幕に君臨しておられました。でもやっぱり男が主人公だとずーっと男が画面を飛び回っているので宮崎さんのロリ萌え成分は控えめであられまして、まあ世界破滅成分もそんなになく(それでもキッチリあるのですけれど)その分きっちり飛行機に情熱を注いでいらっしゃられたんで割とジブリを最初に見るならこの作品が良いのではないかしらんと思いました。もしかしたら良い意味で「ジブリっぽくない」と言えるのではないでしょうか。
で、問題なのは主人公の堀越二郎の声優がエヴァでおなじみの庵野秀明監督が声を当てているって言うことで、これは公開前から一つのエポックメイキングな出来事だったのではないでしょうか。声優の緒方恵美さんなど鑑賞したのちのひとびといわく、「最初は違和感があったが、最後には『これしかない』と思わせる感じになっている」ということでしたが、僕は映画を見ながら、「いや、最終的にはこれで良かったんだろうけど、途中の声をもうちょい若い感じに出せばもっと良かったんでないの」と至極真っ当なことを考えてしまいましたすんません。でも本当にヒロインの菜穂子と抱き合うシーンとかは庵野さんの声の朴訥な感じがすごいどっしりシーンに落ちている感じがしましたし、チョイスとしては良かったんだなあ、とちょっと涙ぐみながら思いました。(そして多分それを狙った演出が会ったんだと個人的には思いますが、とりあえず後述)
DVDで観ました。
ゲイリー・オールドマン大勝利。そしてベネディクト・カンバーバッチも大勝利。したがって俺も大勝利。渋谷の映画館で春ごろに上映していましたが、なぜこんなに面白い映画が全国ロードショーされずに「バイオハザード」が映画化されてしまうのだろう、あるいは「アベンジャーズ」とかいう一周廻って逆に名作どころか絶賛フライバイで重力圏からあさっての方向に吹っ飛んで事象の地平線に向かって猛進するクラスのクソ映画が世にドヤ顔でのさばって「日本wよwwwこwwれwwwwwがwwww映画wwwだw」とかご高説を電波に乗せて我々コモンウェルスに下賜しやがるのであろうか。あのCMだって映画の内容を考えれば「貴様にオプーナを買う権利をやろう(AA略」と同じ路線の馬鹿ネタじゃないかよう。
世の中の力学にシュプレヒコールで対峙しなければならないのだなあと自らの運命に覚醒しました(どうした)いや、本当にいい映画なのになんで「アルゴ」しかり世に埋もれたまま砂と消えていく運命に定められているのだろうか……
キャストは勿論「GOD(ブラピ談)」ことゲイリー・オールドマン。何? Gary.L.OldmanだからGODなの? とか思ってましたが、いや、やっぱり髭のあるなしでバットマンのゴードン警部補とはだいぶ印象が違いますね。で、脇を固める人たちもコリン・ファースとかトム・ハーディとかでみんなイギリス出身の名優ばかりでよかったです。そしてベネディクト、ベネディクト・カンバーバッチにかんしては、ええ、ちょっと冷静にコメントできないのでとりあえずすげーよかったとだけここにコメントしておきます。
観ようぜ。
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