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You're a liar!
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グリーングラス、カット割りすぎじゃねー、と見ながら思った。二秒くらいのカットをものすごい勢いで編集して画面がチカチカする感じ。まあてっとり早く錯綜する感じを出すにはよかったのかな。トニスコとか見た後にこれを見たらなんか違和感を感じるんじゃないかな。それにしても特殊効果ってダブル・ネガティヴが請け負ってんのね。
映画の感想としては、事実を轆轤に乗っけて、くるくるすごい勢いでそれを回転させてさまざまな角度から間断なく側面をそぎ取っていって、それをつなげて映画にしたような印象を受けた。(言ってること、わかりにくいかも)たぶん大量のカットが廃棄処分になったんだろうなー、っていう。ノンフィクション映画としてそれはひどく当たり前の手法で、いつもはそういう風に「加工されたウェルメイドの事実」を無自覚にたらふくむさぼっている僕らでも、グリーングラスの映画にはそういう「それっぽさ」を感じてしまう、そいういう映画だったなあ。
役者については特に語ることなし。なんでもわざとペーペーばっかり出してたんだと(臨場感を追及するとかなんとか。ふーん)。ただ、日本人があの飛行機に乗ってたのを知ったのはこの映画の一つで、日本人がいかにも日本人っぽい顔をしていたのは驚いた。なんでも早稲田の理工学部の学生さんで、久下季哉さんだそうです。
(ここからネタバレ)
死んでしまったひとの顔を覚えることは、僕らにとって何を意味するのだろうか。人間がそんな問いを立てるとき、僕らはどうしても悼むということを考えざるを得なくなる。死んでいっただれかを覚えているということと、悼むことに対して明確なつながりを確信できる人間などいないのに。
いや、死者に悼みが届くかどうかすらわからないのに。
ドキュメンタリーを、9.11のドキュメンタリーを映画として撮影するとき、監督・グリーングラスは一度ならずともこんな思いがよぎったのではないだろうか。
これからのはなしはあくまで僕の個人的な仮説だ。だが、どうしても書いておきたい。
死者を覚えていること、それ自体に意味はない。それを超えたとき、初めて意味が沸き起こってくる。
そう考えたようにも思えてはならないのだ。
というのも彼はフィクショナルな映画を撮ることによって、ある程度乗客をキャラ付けして、映画の中のささやかな英雄として墓碑を立てたような気がする。
なぜ僕がこう考えたかというと、明らかに事実ではない描写を「わかっててやった」グリーングラス、「加工された事実」としての映画を作ったグリーングラスという視点から見ればわかる。あんなにカットを割ると、むしろ事実というよりも編集のにおいが鼻につく。乗客も、あるいは犯人もそれぞれにうっすらと「造形」され、彼らが何をしたか、ということがはっきりとわかりやすく切り取られている。それは僕に言わせれば「その人物の生きていた証」だ。彼らは何かをしようとして、それぞれの意思を持って何かをやった、ということは、あるいは死を覚悟して娘に金庫の会場番号を教えているシーンですら意味づける。こういうことをするためには本当はビッグネームを使うのが手だけれど、それだと不公平につながる(乗客一人に重点が行くと遺族的にマズい)から駄目だったんだろう。
潔い映画だ。
これはあくまでドキュメンタリーではなく、ノンフィクションであるかどうかすら怪しい。
記録そのものに意味はない。これは人を悼む映画だ。
だから乗客はとことん格好よく、美しく描かれ、テロリストは統制もとれていないしヘマはやらかすしいつも神に祈っているという典型的な「狂信モスレム」なのだろう。最後の扉を蹴破るシーンは、事実とは違うという。でもグリーングラスがあえてそこに打ち破られた扉と観客の手になんとか渡った操縦桿を撮ったのは、彼らが何かをやりかけた、という慰めをスクリーンに打ち立てるためではなかったか。遺族一人ひとりに許可をとった彼だからこそ、という僕の希望ははたして間違っているだろうか。
彼らは戦った死んだのだと語りついていく。
美しいおとぎ話に往々にあることだな、とエンドクレジットに滑り込んでくる死者の名を見詰めて考えた。
9.11でお亡くなりになったすべてのヒトと、その遺族に対して改めてお悔やみを申し上げます。
映画の感想としては、事実を轆轤に乗っけて、くるくるすごい勢いでそれを回転させてさまざまな角度から間断なく側面をそぎ取っていって、それをつなげて映画にしたような印象を受けた。(言ってること、わかりにくいかも)たぶん大量のカットが廃棄処分になったんだろうなー、っていう。ノンフィクション映画としてそれはひどく当たり前の手法で、いつもはそういう風に「加工されたウェルメイドの事実」を無自覚にたらふくむさぼっている僕らでも、グリーングラスの映画にはそういう「それっぽさ」を感じてしまう、そいういう映画だったなあ。
役者については特に語ることなし。なんでもわざとペーペーばっかり出してたんだと(臨場感を追及するとかなんとか。ふーん)。ただ、日本人があの飛行機に乗ってたのを知ったのはこの映画の一つで、日本人がいかにも日本人っぽい顔をしていたのは驚いた。なんでも早稲田の理工学部の学生さんで、久下季哉さんだそうです。
(ここからネタバレ)
死んでしまったひとの顔を覚えることは、僕らにとって何を意味するのだろうか。人間がそんな問いを立てるとき、僕らはどうしても悼むということを考えざるを得なくなる。死んでいっただれかを覚えているということと、悼むことに対して明確なつながりを確信できる人間などいないのに。
いや、死者に悼みが届くかどうかすらわからないのに。
ドキュメンタリーを、9.11のドキュメンタリーを映画として撮影するとき、監督・グリーングラスは一度ならずともこんな思いがよぎったのではないだろうか。
これからのはなしはあくまで僕の個人的な仮説だ。だが、どうしても書いておきたい。
死者を覚えていること、それ自体に意味はない。それを超えたとき、初めて意味が沸き起こってくる。
そう考えたようにも思えてはならないのだ。
というのも彼はフィクショナルな映画を撮ることによって、ある程度乗客をキャラ付けして、映画の中のささやかな英雄として墓碑を立てたような気がする。
なぜ僕がこう考えたかというと、明らかに事実ではない描写を「わかっててやった」グリーングラス、「加工された事実」としての映画を作ったグリーングラスという視点から見ればわかる。あんなにカットを割ると、むしろ事実というよりも編集のにおいが鼻につく。乗客も、あるいは犯人もそれぞれにうっすらと「造形」され、彼らが何をしたか、ということがはっきりとわかりやすく切り取られている。それは僕に言わせれば「その人物の生きていた証」だ。彼らは何かをしようとして、それぞれの意思を持って何かをやった、ということは、あるいは死を覚悟して娘に金庫の会場番号を教えているシーンですら意味づける。こういうことをするためには本当はビッグネームを使うのが手だけれど、それだと不公平につながる(乗客一人に重点が行くと遺族的にマズい)から駄目だったんだろう。
潔い映画だ。
これはあくまでドキュメンタリーではなく、ノンフィクションであるかどうかすら怪しい。
記録そのものに意味はない。これは人を悼む映画だ。
だから乗客はとことん格好よく、美しく描かれ、テロリストは統制もとれていないしヘマはやらかすしいつも神に祈っているという典型的な「狂信モスレム」なのだろう。最後の扉を蹴破るシーンは、事実とは違うという。でもグリーングラスがあえてそこに打ち破られた扉と観客の手になんとか渡った操縦桿を撮ったのは、彼らが何かをやりかけた、という慰めをスクリーンに打ち立てるためではなかったか。遺族一人ひとりに許可をとった彼だからこそ、という僕の希望ははたして間違っているだろうか。
彼らは戦った死んだのだと語りついていく。
美しいおとぎ話に往々にあることだな、とエンドクレジットに滑り込んでくる死者の名を見詰めて考えた。
9.11でお亡くなりになったすべてのヒトと、その遺族に対して改めてお悔やみを申し上げます。
シャマラン愛してる。
でもエアベンダーは許さん。
そう心に再び誓った物語でしたとさ。
主演がブルース・ウィリスということで、いつものように銃を蛮族のごとく振り回して暴れまわるのかしらんと思ったら全然そんなことなかったので心配するな。銃は出てくるには出てくるけど別にそういうことはないぞ。
助演の子役のハーレイ・ジョエル・オスメントはやっぱり売れっ子子役の成れの果ての固定ルートであるマリファナ&飲酒運転で逮捕に裏ドラ一丁で三年間の保護観察ということで俺もニコニコしながら観てました。
でもエアベンダーは許さん。
そう心に再び誓った物語でしたとさ。
主演がブルース・ウィリスということで、いつものように銃を蛮族のごとく振り回して暴れまわるのかしらんと思ったら全然そんなことなかったので心配するな。銃は出てくるには出てくるけど別にそういうことはないぞ。
助演の子役のハーレイ・ジョエル・オスメントはやっぱり売れっ子子役の成れの果ての固定ルートであるマリファナ&飲酒運転で逮捕に裏ドラ一丁で三年間の保護観察ということで俺もニコニコしながら観てました。
フォレスト・ウィテカー無双の映画。
あとボディサス。
あとボディサス。
「コミケで三日間スタッフ業務に東奔西走し雁首揃えた愛すべき馬鹿野郎どもと切った張ったとガリガリ鎬削ったすぐ次の日には五時起きの羽田でレイプ目しながら福岡空港目掛けてフライトプランが入ってるなんてこんなの絶対おかしいよ!」
だいたいこんな感じですな、うむ。
まあ唯の帰省なだけだが。
鍵を閉めたか確信がもてないあたりが辛い。
福岡は空からみるとかなりゴチャゴチャの過密地帯だが空港周りはやっぱりサバービア全開でござる。
というかこれが普通なのに、悪魔都市東京に住んでるから感覚が麻痺しとるんね、俺。
だいたいこんな感じですな、うむ。
まあ唯の帰省なだけだが。
鍵を閉めたか確信がもてないあたりが辛い。
福岡は空からみるとかなりゴチャゴチャの過密地帯だが空港周りはやっぱりサバービア全開でござる。
というかこれが普通なのに、悪魔都市東京に住んでるから感覚が麻痺しとるんね、俺。