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一言で言ってネタ映画。ネタですよネタ! え? 新キャラ? ギャグ要員だろあんなのよう!つーかトムクルーズもサイモン・ペグもポーラ・パットンもあとそのほかの奴らもみーんなネタですよネタ! 一本にしてサーガとも呼ぶべき壮大なネタ映画です!「俺は今からアメリカスパイ映画を観るんだ」って暗示しとかないと笑いが漏れなく噴き零れます。
えー、と。監督はブラッド・バードという人らしいけど良くしらね。なんかインクレディブルとか作ってたアニメ畑のひとらしいでつ。ふーん。まあクルーズ兄ィが監督にも脚本にも大きな影響力を持っていることくらいわかるので半分クルーズ、残りの半分もクルーズ、みたいな映画です。
あらすじとしては核戦争肯定論者が核ミサイルのコードをIMFという主人公であるイーサン・ハント属する組織から奪うシーンから始まる。場所は東欧ブダペスト。もーこの時点でネタ臭フルスロットルですね。二十一世紀に「199X年、世界は核の炎に包まれた」をする気満々でこっちまで恥ずかしくなります。そーゆーアレな設定はCoDかエスコンでやってくださいプリーズ。
まあ、そこでなんだか不思議ハイテクデバイスを駆使して敵の追っ手を蹴散らす一人の工作員が出てくるわけですよ。とりあえずそのコードを持ったまま、チームで追っ手から逃げるシーンは結構渋いです。初代のデ・パルマっぽい感じに仕上がってます。やっぱスパイは足遣ってなんぼですね。で、とりあえず逃げ切ったーとおもって道を歩いてたら「こいつがお前を狙ってる」って本部からメールが来て、その画像を見ていたらまさにそいつに殺されるわけです。ね、ネタでしょ?
こういうネタをいちいち羅列していったら本当に腐るほどあげられるので、此処からはおれが厳選して伝えたいネタを書いていきたいと思います。
ネタ①イーサンが仲間の制止を振り切ってまで脱獄させたロシア人は、劇中で何度も伏線扱いされていた(ロシアの防諜組織の会話で「こいつは……」とファイルを示してカットが切れたりする)のにもかかわらず、実のところはただの武器商人とのパイプ役でしかなかったとこ。
ネタ②ロシアの軍服を着てクレムリンに侵入というオイオイそれ二十年前にやれよってことをしていて、しかもそこで使うハイテクメカはおっきなスクリーンと水漏れ音を響かせるデバイス。番兵に対してトイレのほうで水漏れを聞かせてそっちに気を取られている好きにスクリーンごと移動するというバカネタ。
ネタ③テロリストの手によってクレムリンの軍部が爆破されるのだが、その時の爆破の火薬の量が冗談抜きで冗談みたいに多い。クレムリンの建物からかなり離れていたにもかかわらずイーサンのところが吹っ飛ぶまでの圧倒的爆薬。もちろん建物は全体が粉みじん。そして世界は核の炎に以下略状態。
ネタ④ドバイのホテルは基本すべてがネタ。イーサンが壁を登るための引っ付き手袋はすぐに壊れるし、スパイ相手の足を止めるため五回も六回もエレベーター止めてるのに相手は全く違和感を抱かなかったり、ポーラ・パットン演じるジェーンが相手の殺し屋をうっかり殺してしまう決め技は巴投げからの高層ビル落下だし。真剣に見てるといきなり巴投げが決まってます。美人の殺し屋がすっげえポカーンとしながらドバイの空に消えてゆくのは結構マヌケな画になってます。
ネタ⑤CIAから切られてわずかな装備と資金しかねえと何度も嘆いてるのにBMWを何台も乗りこなしてはぶっ壊すしブルース・ウェインの地下倉庫みたいな部屋はあるし自家用ジェットには乗るし不思議デバイスは湯水のように使うしでどの口がそんなことを言うかと思う。
ネタ⑥イーサンは奥さんが死んだという設定で悲しみを背負ったキャラになっていて、ジェレミー・レナー演じるブラントはイーサンの奥さんを見殺しにしてしまったと思って現役を退くほど落ち込んでいるのに、ラストになって「実は奥さん生きてたんすよ」とあっさり打ち明けられて観客はポカーン。かわいそうなのは責任を感じてエージェントをやめちゃったブラントですよ!
ネタ⑦イーサンが核の停止スイッチを最終的に敵から奪って、ボタンを押す時に「ミッション・コンプリートォ!」と叫んで押したのに結局止まらず、「なんでだ!」ってバンバンボタンをぶっ叩くところ。あと、停止した核ミサイルがシスコのビルにまるで車のバンパーに当たった石みたいに軽くぶつかっただけで済むとこ。
ネタ⑧核戦争が起こりそうだってのに自分たち4人だけでことを終わらそうと考えたり、テロリストにしても後ろ盾もなく核をぶっ放そうとしたりイーサンに話を持ちかけられる武器商人も「あんたの国で核戦争が起きるぜ」の一言であっさり信じたりお前ら世界舐めてんのかってとこ。みんなちょろいです。
まーめぼしいところで行くとこんなところですかね。そもそも東欧のテロリストと核ミサイルの組み合わせはもはやダメすぎて逆にファッショナブルな感じがしなくもないですが。イデオローグ的にもグダってましたし、なんかなあ、って苦笑することしきりでした。まあネタなので、ネタとして楽しむか、最初に俺が言った通りにアメリカスパイムービーにどっぷり洗脳されてから観ることをお勧めします。
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タンタンの冒険というと英題が「The adventure of tintin」なのでウワーチンチンダァーって思った人は俺と握手。「あれ……of tintin」って短くいうとオチンチンじゃね……って悟った人は俺のケツを舐めろ。というわけで感想です。久しぶりにツイッターのほうにも載せましょうかねと画策してます。
監督は指輪のPJとスピルバーグ。いやあ、なんというかスピルバーグの作品なのに人があんまり死なないって不思議な気分ですね。宇宙戦争ではリアル人がゴミのようだ状態だっらのに。あとライアンとかシンドラーとか。PJだってホラーから指輪に第九地区と基本エグエグだったのに不思議ですね。
原作は俺の子供時代のスキ本だった「タンタンの冒険旅行」から、「なぞのユニコーン号」です。いじめられていたので本を読むしかないが活字ばっかだとつまらないし飽きるのでよくこういう漫画本を読んでいましたとさ。ちなみに「ユニコーン号~」から政治的圧力によって純粋な冒険ものになったんですと。へえ。
 
冒険。それはきっと苦しいものだ。指輪物語の冒険はほんとうに冒険をしていたように思う。先は見えない。仲間は散り散りになる。そしてその中でも孤立を深めていく。疲労と疑念で足を何度も止めそうになる。だけど少年が冒険を望んでやまないのは、うつくしい部分しか見ていないからだ。
大人は子供を喜ばせるためにそんなおとぎ話としての冒険を語る。弾は決して当たらない、偶然が味方に付く、そして主人公は最後には勝つ。そういうまっすぐな感覚をもう思い出せないくらいには大きくなったけど、この映画を見てちょっと懐かしい感じがしたのはそういうことだと思う。
実は、この映画に対して表現するべき言葉があまり見つからない。絵は引き込まれるところがあるし、動きも楽しい。ハドック船長は酔いどれでドジだけど締めるところは締めるキャラが好きだし、スノーウィも動物ならではのお約束のカオスを作り出して流れにアクセントを与えていた。
ここでふと気づく。タンタンってあんまり語るとこがないぞ、タンタン自身について。
なんというか彼は新聞記者で正義感が強くて運動神経抜群で頭も切れて……っていうのはすごいわかるんだけど、なんだか空気なのはたぶんそういうスペックが問題なんだと思う。ここで彼が大したことのない普通の男の子だったら、きっと途中でハドックに叱咤激励されたときに観客とシンクロすると思うんだけど、それがない。
タンタンなら大丈夫、タンタンならやってくれる。
僕らはもうタンタンになれると信じていた年齢じゃないのだろう。本当に子どもなら、きっとタンタンが叱られたときにぐっとくるのだろう。彼みたいに優秀で果敢になれると信じているから。でも僕は駄目だった。
なので大人はアニメとして純粋に映像を楽しむ感じが精神衛生上よろしいのではないかとおもわれます。俺みたいに変に痛くもない腹を探ると本当に屈託が何もなくて自分の汚さにへこみますから。おれと約束ですよ。
あ、マンガを読んでいる人ならなんというか吹き出しが交互に出てくるあの感じがすごいよく演技に表れているのがわかると思います。ハドック船長とタンタンの掛け合いとか、デュボンとデュポンの掛け合いとか、あの吹き出しが重なったり間延びしたりする感じがすごい味を出してました。
でもなんというかタンタンの顔とかが若干リアルすぎて少し違和感はありました。バンドデシネでみるあのやわらかい少年の線を完璧無視してます。アニメ顔を完全否定しているのにあれほどの絶妙なバランスで成立させているのはすごいけど、マンガを読んでいる人にとっては違和感はぬぐえないかと。
久しぶりの更新、久しぶりの映画レビュー。 なので、ちょおおおおおおおおおおおおおっとだけ気合を入れてかこうかという考えが頭の中でチラリズムしましたが、俺は今日のオナニーをして早く寝て明日の学園祭に行かねばならぬのでそこまで手をかけられない俺を許してくれ。
まー、ねー、実際一日目の今日は学園祭をサボりにサボってしまったので。 で、「セブン」。七つの大罪です。(pride,envy,warth,lust,gluttony,sloth,greed)
ちょいとググってウィキればヒエロニムス・ボスのお話とかはじめは八つだったとかいろいろありますが、ちょっと気の利いた本を持っていたのでそこらへんについても下のほうでおいおい書いていければなーと思います。 えーと、キャスト。 まず監督はフィンチャー。俺の大好きなパニック・ルーム(というかジョディ・フォスターのエロさとクリステン・スチュアートのロリオーラ略してローラ全開なとこがすき)の監督であり、俺のトラウマである「ファイト・クラブ」(具体的にはあの最後のオチの全力でのぶんなげっぷり。オチが確定した瞬間、俺は見るのをやめたのであの後どうなったのかいまだに知りません)の監督さんであります。オイエー。
で、役者はモーガン&ブラピ。誰だ、ブラピのほうが先に来るべきとかいったヤツは。え? モーガン萌えならぬ燃えの俺に俺の名前を言ってみろ不運(ハードラック)と躍らせる(ダンス)ぞクラァ! とりあえず、どっちもほのかにインテリ臭とワイルドさが兼ねそろえているので相性はすごくよかったです。
でー、まあリー・アーメイがでてておっさんフェチには本当にご褒美だったのですが、それ以上にケヴィン・スペイシーが、この映画と一緒に借りてきた「L・A・コンフィデンシャル」に出てて、ケヴィン大活躍だなと思ったら「セブン」の脚本はアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだったのでケヴィンまつりやーと思ったり。 脚本家のほうのケヴィンはスリーピー・ホロウ(デップの)の脚本も書いているそうで、キリスト教の不気味さ、とかこういうのがすきなのかしらん。
あとオープニング・エンディングともにナインインチ・ナイルズの曲なので勃起した。
ここから下はネタバレあり

というわけで内容のほうにホイホイと入っていったり。
「ゾディアック」という映画をこのフィンチャーはんはこのあとに撮っているわけですが、まあそれはおいておきましょう。まだ見てないし。
基本的にオーディオコメンタリーでいっていたとおり、オーソドックスな探偵モノだと思います。エンディングでのフィンチャー御大曰く「ペシミスティックでシニシスティックな映画を作りたかった」だそうで、見事に目論見は成功したのではないでしょうか。つーかこいつの映画でそうじゃないのってあるのかしらーとおもったら、そういえばファイトクラブは最後はほのかに希望が出るらしいので、まあ特に救いのない結末になったんですと。ソーシャル・ネットワークもやっぱりペシミスティックではなさそうなので、実は怖い作家じゃないんかね。 しかしこの作品に関してはその考えは間違っていない。
もともとメジャー志向ではない、「なんだかよくわからないけど腹が立った」といわせるのが監督の狙いだそうです。 世界へのアプローチのお話、だと思います。 個人的には。 トライガン・マキシマムの最終巻でヴァッシュがレガートを撃ち殺すとき―――そしてそれこそがレガートの最大の攻撃である、その瞬間の台詞曰く、「選んで折れろ、夢見る聖者」だ。 善良であることが善良な証明にはならない、この世界。 世界は恐ろしい場所だ、罪深くて汚らしい場所だ。 モーガン・フリーマン演じるサマセットは、それを理解しているがゆえに定年退職の後に町を抜け、田舎暮らしを望んでいる。ブラピ演じるミルズ刑事の妻、トレイシーも理解しているゆえに子供を産むという行為に対して苦悩を抱えている。そして殺人鬼であるジョンは、ある意味、誰よりもそのことに理解をもっていたのだろう。 この文章を書いている僕は実は小説なんぞも時々書いていて、今日も八ページほどの小説を二時間でほとんど仕上げてしまった。
そのとき、僕が書き綴っていた内容は、まさに世界のディティールの醜さについての嫌悪だった。いちいち神経に障る隣の人間の愚痴や、正義に対しての無関心。前者は僕の小説で、後者はサマセットが憎んでいるものだ。 ジョンはそんな世界のささくれを僕のように書き綴った。そこで僕とジョンを分けるものは二つ。一つ目、僕は七つの大罪に合わせて人間を殺したことも殺そうとも思えない。二つ目。彼は二百五十ページのノートに細かい字でびっしりと二千冊も書き綴っていたのに対して、僕は八ページだけだった、という事実。 それだけだ。
世界が邪悪なところだって、みんな知っている。
しかし、僕の八ページ程度しかないアンテナとしての能力でも、世界は不正とゆがみに満ちている。 なら、二千冊のノートをつづるほどのアンテナを持った人間には、あるいは。 もし僕がそんなアンテナを世界に向けていたならば。
殺すだろう。
きっと殺す。もっと殺す。ずっと殺す。
僕はそんな状態にならないことを祈るしかない。そして、ある朝に目を覚ましてそんな風になっていたとしてもおかしいことは何もないのだ。なんてひどい乱暴さをもった世界だろう。 だからこそ、あえて七つの大罪を人間は打ち立てたのだと思う。
七つ。
荒ぶる世界にたいして、ジョンと同じ程度のアンテナを張っていれば、きっと人間の醜さや罪深さは七つ程度ではカテゴライズできないと思う。「幸福の形はひとつだが、不幸の形はさまざまである」といったのはトルストイだが、おそらくそれに近い。
だが、その人間のエラーを修正するには、人間はあまりに不完全が過ぎた。 ゆえに七つだけリミットを課し、それ以上のことには目を瞑るのかもしれない。 眠るように。 この映画はブラピの映画だったと思う。(上ではモーガンって言ってるけど) 世界を信じて戦っていたミルズ刑事は、トレイシーの死という世界の醜く恐ろしい部分に膝を屈してしまう。
ミルズが戦って、折れてしまうからこそのペシミスティックでシニシスティックさ。それは私たちがサマセットよりミルズの側に―――つまり、無邪気に世界を信じている側に近いこと、そして、ゆえに敗北者であることを示しているのではないだろうか。世界に、そしてその邪悪さに勝てるものなどいない、という思いをこめて。 
最後の殺害のシーンでは、本来はサマセットがミルズの代わりに撃つのがオリジナルだったそうだが、ブラピの希望により、ミルズが殺すシーンに置き換わったらしい。

そういう映画である。
 売春婦が好きだ、と友人に話すとよく腐ってしまった保存食をみるようなひどい目を向けられることがあるが、たぶんそこまでずれた感性はしていないと思う。男友達は意外、と言うか何と言うか、こういうとき僕の告白をネタにして笑い飛ばして次の話題に移るだけだけど、女の友人に話すとこれが存外に食いついて来る。たぶん、距離感が違うのではないだろうか。たぶん。僕たちは男だから、あまりに「操を売る」という生活の仕組みから離れすぎているのだろう。現実には男だって体を売って暮らしている人間はたくさんいるのだろうけれど、僕らの視点から見るとはるかかなたにぽつんとあるだけの概念だ。それは核戦争とも小学校のころ好きだったあの子の隣の席とも通ずるほどに距離があり、現実感はまったくない。小さいころの望みはすべて今にしてみるとはるか彼岸に霞んでいる―――と〆ればいっぱしにかっこよくなるのだろうが、今思うと高望みが過ぎたのでもともと手の届かないところにあったなんてことを自分で指摘してまたひとつ大人になる。
 きっと大人になったらちゃんとオトナに成れるし大人に慣れると思っていた。川原でエロ雑誌ひろってきたりゴキブリに情けないくらいの悲鳴で歓待したり市内と思っていた。
 思っていただけだが。
ものかきタグが入ってるのは基本的においらの適当に書き連ねた小説です。
もしかしたらエッセイとか時事評論とかもするかもしれないけどたぶんしない。
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