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クリスチャンベイルである。
あとJJLか。乳首かわいいJJLか。
まあそんな感じの映画でしたー(眠れなくてうつろな目で)
なんというか、クリスチャンすげえ、やせすぎだろ、という当たり前の感想はその辺の銀河に埋もれさせとくとして、僕が思い当たったのはサンフランシスコとして撮られたスペインの情景と、クリスチャン演じるトレヴァーの車を運転するシーンである。
なんといってもクリスチャンの「肉体」に目を引かれがち(そりゃそうだ)ではあるが、一歩引いて考えてみると実は彼がその肉体をモロにさらしている時間よりも、明らかに車に乗っている時間のほうが長いのだ。いや、まった。言いたいことはわかる。クリスチャンは服を着てもダボダボで、顔はこけている時点でそんな論法は存在しない、というのは。だけれど、僕は他にも感じることがった、というはなし。
(ネタバレあり)

トレヴァーはひき逃げの罪の意識が良心の呵責となって、それが原因で睡眠不足に陥っている。これがこの映画の前提である。この時僕が思うのは、肉体に対して従属的であり続ける精神=魂というこの映画で反復されつくしたテーマの上に薄く乗っかった街と車の関係だ。そして肉体の。
劇中のサンフランシスコでは、職場に行くのも空港の24時間カフェに行くのも娼婦を抱きに行くのもすべてがすべて、車を通して行われる。クリスチャンが自分の足で街を歩くのは、車に引かれて満身創痍になりつつも警察に追われて必死にケツをまくるあのシーンだけだ。
僕はここに、肉体を縛り付ける街の構造を見た気がした。
すなわち、街>肉体>ぼく、というあっけらかんとした、そして残酷な三位一体だ。
街はすでに僕らの肉体の手には負えない、僕らの肉体の可動域を超えた何かになってしまった。ただのショッピング・モールと寝床と職場の複合体としての町ではない、僕らの体を圧倒するディテールとスケールを持った街に成ったのだ。(ちなみに監督はおまけのメイキングで、街のセットに対する説明をかなり長くとっていた。ぼくらのおっぱい、JJLを説明する時間より長いと思う)
街はだから、「なにか」が起こりうる。
その何かに対して僕らにできることはあまりに少なく、僕らの肉体にしがみつかざるを得ない僕らの精神は、街の侵略に容赦なくむさぼられうる。僕らはそんなおどろおどろしい街を、車の力を得ることでようやく何とか「乗りこなして」いるだけに過ぎない。
ホラー。
何かよくわからないものが、僕らの背中に張り付いている。それは物理的に、そして精神的に僕らの気づかぬ間に僕らを取り囲む。そして容赦なく食う。
それこそが、その「よくわからない」という存在こそが、僕らがホラーと呼びならわし、恐怖を感じるものではなかったのか? 僕らはよく墓場や廃屋、洞穴といった非日常にそれを求める。しかし、本当のホラーというのは、本当に怖い恐怖というのは、僕らの狭い生活圏の中で起きる不可解で理不尽な世界の営みではないだろうか。
都会でホラーをするということにたいして、僕たちはもっと自覚的になったほうがいいと思う。
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