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 あたらしいほうの!
 まあツタヤの発掘企画で古い方もDVD化されていたのですが『ロック・ストック・トゥー・スモーキング・バレルズ』のころからステイサムさんのファンなおいらは「ステイサムが出ていない映画とか観る価値ねえよ!」と新しい方に全ツッパしていきましたとさ。いやそんなことないんだけどね?
 ステイサムが出てなくともジョセフ・ゴードン・レヴィットとかジャレット・レトとかデンゼル・ワシントンとかロバート・レッドフォードとかレオナルド・ディカプリオとか出てれば観るよ? まあ今回はやっぱりホラ、まあステイサムさん一択でステイサムたんの胸毛を画面越しにペロペロするだけでいいっていうかやっぱり腹筋の上にうっすらついている脂肪をガン観したいっていうか髪の毛の薄い頭に股間の薄汚いオートマトンをエレクチオンしたいっていうかドゥフフとか思いつつ帰ってきて下半身をジーパンと社会規範から解き放ったあとでティッシュ準備してDVDを再生してみたところ、なんかドナルド・サザーランドがいておいらはそれだけで前後左右上下から縦横無尽に失禁しながら幸せな気分になりましたとさ。もうどうしようもねえな!(いい笑顔) それにしても、ドナルド・サザーランドですよ。ええ。『M★A★S★H』観た人なら誰しもがあこがれるホークアイ大尉の役者さんですよ。観てないやつは今すぐツタヤに走れっていうくらいの映画ですよ、マジ。『ランボー』なんか観ている場合じゃねえ!と割と暴言なんですがここにマジレスしておきます。あ、あと★が入っているのが正式名称なんで、そこんとこ夜露死苦。
 まあステイサムたんも負けず劣らずいいんですけどね! なんといっても水泳選手だったもんでしっかりと筋肉がついているうえに脂肪ものっかってるあたりスンばらすぃーですよ。略してばらすぃー。いちごましまろ。美羽ちゃんのちょっとつっぱったロリロリおみ足を臭くなるまでペロペロしたいくらい、ステイサムさんの頭の天辺の地肌もレロレロしたいもんですわ。ええ。(血走った眼)デビュー当時から一貫して禿げキャラを貫き通すその一途さが素敵です。……あー、でも「リボルバー」の主役の時は禿げてなかったっけ。うん。なんかごめん。
 ……ええと、すいませんちょっと酒が入っているのでネタと下ネタ多めですマジすいません。でもいちごましまろは全巻もってるんで許してください。アナちゃんのおしりにほっぺたスリスリしながらゲルマンロリっ娘の屁の匂いかぎたいもんですよ!(マジキチ)

(相変わらず以下でネタバレします)
 世に殺し屋映画というのはいくらでもございまして、その上殺し屋というのがどこまでを指定する単語なのだろうか、という議論も範疇に入れますならば、コレ、警察の過激な部隊を描いた『S・W・A・T』も『エリート・スクワッド』も『フェイク・シティ』も『トレーニング・デイ』も『マイアミ・バイス』も『バッドボーイズ』も『ディパーテッド』も殺し屋映画となるのではないか。(映画のチョイスにちょいちょい趣味が見え隠れしてますが)否、軍隊物の映画というのは実はすべてが殺し屋映画といっても過言ではないのだろうか、という命題が見え隠れします。
 しかし、殺し屋、という言葉を真摯に考えるとき、私たちはきっと『純粋に営利システムとしての殺しを行う人間』、つまり職業軍人ならぬ職業殺人を僕たちはきっと殺し屋と呼びならわし、畏怖し、憧れていくのでしょう。それは私たちが熟練した陶芸家や書道家、メカニックにたいして抱く念と同種のものである、そうも考えます。しかし、それ以上に僕がこの映画の『メカニック』―――殺し屋、に抱く畏怖の感情は大きく、異質なものである、そうもかんがえます。なぜか。
 それは、殺し屋、という仕事が、少なくとも普通の世界に生きる僕には見えない職業だからでしょう。おそらくこの映画を作った人間も実際に『殺し屋』の仕事を見たわけではなかったはずです……たぶん。それは所謂ファンタジーの世界を手探りで作るのと同じ作業であり、想像力と検証力の両輪がうまく回転しなければ無しえない高度な試みであるといえるでしょう。それゆえに、殺し屋映画では過剰な演出がされがちなのですが、この映画ではそういうことをさらっと流して撮っていくあたりがとても好感が持てました。『ボーン・アイデンティティー』シリーズもさらっと撮る技術は高かったんですけれど、アレはグリーングラス監督お得意の「カットを矢鱈めったら割る」という技法のせいでシーンが細切れになっているせいでそう見えてくる、という話なので、この『メカニック』は、架空の職業を日常をバックボーンにしてつなぎ目がわからないように描く、というところではかなり美しい映画なのではないだろうか、と思います。少なくとも、殺し屋にありがちな「日常と仕事で生活がくっきり区別されている」という演出は、仕事をしている方も学生の方も分かると思いますが、結構嘘くさい、みたいなところがあるじゃないですか。ステイサム演じる殺し屋は、日常の中から殺人の下準備をする、という点でとても「らしい」暗殺者だった、といえるでしょう。
 というわけで、メカニック、そういう映画でした。
 おちも非常に洗練されていて、やっぱり映画というのはキャラのたっている人間が三人いればそれですべて満ち足りるのだなあ、とつくづく納得させられました。あえてここでは最後のシーンについては書きたくないので書きませんが、いちいち伏線を丁寧に、しかし本当にさりげなく描き切ったうえであのオチまで持っていくという脚本の素晴らしさに、やはりいい映画はいつまでたってもリメイクしてもいい映画なのだなあ、と感心させられることしきりです。あとホモシーンもエロくてよかった、とショタコンの弟が言っていたのできっとそうなのでしょう(白目)。

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